はてなスターを付けていただいた。ありがたい。今まで利用してない機能だったので、もらったスターの記録・スター通帳みたいなのはどこで見ればいいのだろうと探してみたら、はてなスター専用のページがあって、そこで見られた。今回がはじめてもらったスターだと思っていたが、過去にもらった記事がもうひとつあった。たぶんブログを更新しない間に通知が消えて気づかなかったとかだろう。申し訳ない。レアカラーのスターというのもあるみたいで、それははてなにお金を払って買えというシステムになっていたが、なんて良い記事だ、よし、はてなに金を払ってレアスターを付けよう、とはならんだろ。頭きらきら星かよ。ブログ文化が下火となり迷走した結果生まれた悲しき機能のひとつなのかもしれんな……

晩年のサドはなんでもかでも「数のシステム」といって、あらゆる物事は数に支配されており、その数の秘密を解きさえすれば幸も不幸も思いのまま、みたいな妄想にとりつかれていた、といった事を何かの解説で読んだ記憶があるが、昨日の記事も「数のシステム」に取りつかれた妄想だったかもしれない。私も大概わけのわからん物事に遭遇したら数を数えとけば良いと思っている節があるしな。

問題の27ページだが、レイアウトとしては左上から右下に向かって言葉のブロックが並んでいる。この詩集は縦、横、右上から左下へむかう斜めの線があったが、ここで左上から右下への斜線も確保されている。というわけでは左上、「水泳!」の叫び声なのか驚きの感嘆符なのか判断つかないこの3文字がこのページの始点となるのかもしれない。仮に「水泳!」を始点としてみたとき、ここでまたいつもの問いの手が私の思考に待ったをかける。この「水泳!」はタイトルなのか詩なのか? しつこいようだが、公式にはこの詩集の詩にはタイトルが一切ないとあるが、本当に? 私の読んだかぎりでは、この「水泳!」の驚く/叫び声は、27ページの「彼女の部屋」「彼の部屋」どちらにも繋がっていくようなイメージをもてなかった。いったいこの「水泳!」はどこから何に端を発した言葉なのだろうか。

あるいはこの「水泳!」を出遅れた言葉、いや逆に早すぎた言葉、ページの移動に巻き込まれた結果と捉えてみてはどうだろうか。この「水泳!」は28ページにつながる言葉であり、27ぺージから28ページへとめくられる紙の端で切断されて取り残されるというアクシデントにあった可能性もあるかもしれない。しかし28ページの詩と「水泳!」との間にもまた何かしらの繋がりを感じられない。この「水泳!」は27ページからも28ページからも浮いている、いやもっといって「水泳!」は、この詩集のすべての詩から浮いた言葉、周りからほとんど完全に切り離されて、単独で存在している孤独な声のように思えてならない。つまり本文とは切り離され、それのみで成立する言葉、これはタイトルの性格のひとつではないだろうか。タイトル/詩の法規、それは繰り返し、ずらし、折りたたみ、いかさまに掛けることであった。水泳、水の字が繰り返され、ずらしてある。泳、さんずいとしたみずという水の部首が一文字に折りたたまれてある。そして! これは日本語で雨垂れという!

水で書かれ、したたるほどに水で覆われたこの驚くべき叫びの一声。27ページの一連の詩のように見せかけ、詩の聯のようにひとつ以上の切断線をページに刻み込むこのタイトル/詩のいかさま。一ページに複数の詩が置いてあってもいいように、タイトルが本文に置いてあったっていいだろう。公式の言葉(「この詩集には一切タイトルがない」)に蜂起する詩の言葉(「水泳!」)。タイトル(『手のひらたちの蜂起/法規』)に蜂起するタイトル(『水泳!』)。詩人+出版元=創造主=法規に対する詩集の蜂起。はたして私が読んでいるのは『手のひらたちの蜂起/法規』なのか、『水泳!』なのか、それが問題だ! すくなくとも27ページの詩はまだぜんぜん読めてない。(つづく)