『双生』190ページまできたので残り100ページ。今月中に読み切れるといいがまだまだ予断を許さない。というのも150ページあたりから1から読み返したい欲求がつよくなってきていて、読書の集中力にガタがきている気がする。『双生』は文章の情報量がともかくおおすぎて、それを整理していこうとゆっくり細かく丁寧さを心がけて読んでいくと、どんどんミクロに文章に入り込んでいって、ぜんぜん先に進めなくなり、しばしば本筋を見失いがちにもなる。今のところ2ページ読むのに平均15分くらいかかっていて、10ページ読むのに1時間を超えてしまってると思う。特に気になる文章が出てきた日には、それだけで数時間、数日は先に進めなくなる事もある。まあ、私の情報処理能力・読解力が低いというのは確かにあるが、三宅さんが超絶技巧な文体のせいも絶対ある(笑)

 

たとえば、『双生』の文章ではカタカナ語や外来語がある時点まで(たぶん)出てこない(円匙→スコップの変化であれこれはと思いはじめた)(訂正。スコップじゃなくてシャベルでした)。これは作品の時代設定からきていると思われるが、しかしほんの時おり比喩表現なんかで西洋イメージな比喩が入る事が(たぶん)あった。この(たぶん)が、あってるかどうかを探りたいので読み返したいというのが一つと、西洋イメージの方は単に揚げ足とりや重箱の隅つつきのようではあるが、そうじゃなくって、いまのところ私が気になっている読み筋として登場人物の「外人=異人」化の線があって、そこらへんの読み筋が無理筋かどうかを探りたいというのがもう一つ。(この「異人」は「亜人」にまで繋がらないか、とか妄想たくましくもしていたり)(「亜(ア)人」の次だから「異(イ)人」なのは必然!とかとか)

でもそういうのも一度最後まで読んで、とりあえず作品の全体を把握してから読み返した方が良いのは確かだろうなー。もう8月だし!いやいやでも1年くらいかけてこの1冊だけに付き合う方針で、気になった時点で初めから読み返していくのもありなのでは……この数週間はそういった葛藤を抱えつつ、じりじりと読み進める日々であるのだった。

 

と言いつつ、気分転換に高山羽根子『オブジェクタム』も間に挟んで読んだった。この中の短い「太陽の側の島」が『双生』の戦時部分のパートにすこし似通ってたのもあって面白かった。いやひょっとしたら戦時資料・参考資料的なものに重なるものがあったとか?