昨日はたまたま予約時間帯に自分以外いなかったと書いたが、よくよく考えるとこれ1時間枠に1名限定なのかな。あと昨日は興奮のいきおいで書き散らしたが、作品に書いて説明している部分は実物ないとなに言ってんのかよくわからんな。《Who Knew Cat Nowhere》ボックスの紹介画像にあるドローイングが新作を小さくしたものなのでこれを参照に想像してもらうといいかと思われる。あと絵本の内容はこれに付いてるミニ絵本とおなじものだと思う。

岡崎展をみたあと新宿にもどってちょうど上映時間の回があったのでゴダール/遺言をもう一度見た。メインビジュアルに使われているゴダール直筆?の黒の上に赤い絵の具でガッと描いてある絵は映画の最初の1コマ後・最後の1コマ前に2度使われているのだが、1つ目の絵をみた瞬間これ岡崎氏のWhoちゃんじゃないかと見なしてしまうのは仕方なかっただろう。しかも次のコマではゴダール直筆?で『暗い部屋で黒猫を探すのは難しい/そこに猫がいなければなおさらだ』という何かの引用なのか謎の箴言エピグラフが出てくるのだから。そして次のコマではキャノンの印画紙かプリント用紙の裏紙がブランクとして写されるのだが、この暗い部屋=カメラ映写機から映写される白い裏紙に猫の影は映っているのかいないのか。このあたりの笑うしかない提示のテクニックは実にゴダールだが、このとき私の脳裏=暗い部屋では岡崎氏の猫ちゃんが振り回される紐に飛びついて暴れまわっていたのは間違いない。

延期となっていたパンフレットが販売されていたでの買った。1週間で作り直しんだろうか。なんか表紙の手触りも高級そうだしこれはサンローランパワーか?

アワーミュージックはそのうち見返さないといけないが、奇妙な戦争で使われていた「大人がいない」というのは確か愛の世紀だったはずなのでこちらも見返して確かめてみないといけない。そういえば愛の世紀は主演を務めるはずだった女性が亡くなって映画製作が中断される映画だった。奇妙な戦争では冒頭に二人の女性が並んで立ち、片方の女性が語るという体のオフの声があった(パンフの堀潤之氏の解説を読むと『アワーミュージック』のオルガのモノローグ)が、もう一人の顔の見えない女性とは、あるいは愛の世紀の女性でもあるのかもしれない。

ゴダール/遺言はあっという間に終わるので、もう一本『ミレニアム・マンボ』を見て帰った。チケット購入して気づいたが、3/1・映画の日だった。これがもう20年も前の映画なのか…愕然とするな。この映画が公開されていた頃の日本というか東京はまだまだ生活の張りも文化の活気もあったよなーと、かつてのだいにっほんの栄光を振り返る耄碌爺みたいなイタイ感想をいだくのだった。映画としてはこの破滅的な夜の人々の生き様に共感することは1ミリもないのだが、そこに映されるミレニアムな景色、ナイトクラブや冬の夕張・東京の大久保!の景色には、見るものの感情を震わせるなにかが明確に刻まれていると思う。映画内では10年後の、リアルでは10年前の時点のヴィッキーと、鑑賞者の2001年を見つめる視点はここでぴったりと重なっているように感じられた。泣けるぜ(ダーティハリー