引きつづきタイトルについて、もう一度、公式の言葉を忠実に読み返してみる。「収録されている詩には一切タイトルがない」とある。それを私は「詩たち」などとまるで収録されている詩が複数あるかのように決め打ちしてしまっていた。『手のひらたちの蜂起/法規』が1篇の長編詩である可能性は拭いきれないが、その場合、詩集のタイトルと詩のタイトルについてはどう捉えたらいいのだろうか。(詩集という語自体の複数性、集の字に含意される複数性は今回は無視して、詩の本=詩集という呼称で統一しとく。あとタイトルの複数の意味をつついた寄り道も控えておく。この詩集の詩人は「まったく無名の新人」、新人が名誉あるタイトルを獲得していくのはこれからのことだから)

収録されている詩が複数ないとも書かれてはいない。むしろ「一切」を複数あるそのすべてと捉えて読むのが本筋だろう。誰だってそうする、俺もそうする(虹村形兆)。しかしそうするとまた別の問題が現れる。詩と詩の区切り、タイトルが一切ない詩たちをどこで切り分けるべきだろうか。この詩集に収録されている詩は何篇あるのだろうか。白ページを切れ目とできるだろうか、ページをめくる手の回数を詩たちの数と数えられるだろうか、レイアウトの違いを区切りにできるだろうか、句読点で句切りをつけることができるだろうか。

たとえば見開き18-19ページは1ページに縦書きで4行、全8行のリンゴをテーマとする詩として、1篇の詩と数えられそうではある。22-25ページには1ページに縦書きで2行ずつ、全8行の詩行があるが、私の見立てではここには先のリンゴのように強調された協調性は感じられない。これはそれぞれ独立した8篇の詩と数えるべきか、1篇のまとまった詩と考えるべきか、はたまたそれ以外の数え方があるのか(もちろんある。それはカッコの使用・未使用による分類)。翻ってリンゴの詩を1篇の詩として数えることに正当性はあるだろうか。18ページにはリンゴという語が10回でてくるが、19ページは最後の1行に2回しか出てこない。右のページと左のページを別々のページに切り分けることもけっして無理ではないように思われる(右ページのりんごは主に否定としてあり、左ページのリンゴは肯定が強調されているようにある。1篇の詩として読むなら否定がページを繰ることで反転して肯定に裏返った、と同時にリンゴを知恵の実=脳みそとイメージ連係してリンゴ=脳みそを食うカニバリズム詩と読むこともできると書いたらたぶん人はひく。ついでに書き加えておくが19ページは縦書き5行の詩があり、僕・君のやりとりがリンゴの詩のつづき、第二章であるようにも読める。19ページの詩は脳みそをほおばられてバグった僕・君の詩ではないかと書くともっとひく)

収録されている詩にタイトルがない詩集はほかにいくつもあるだろうが、一切タイトルがないというだけでここまでおかしな詩集があるだろうか。あるだろう。そしておかしいのは私の頭の方かもしれない。んなわけがない。おかしいのは手のひらたちである。

(うちには暖房がないのでキーボードを打つ我が手のひらたちが冷えてかじかんできたから、つづく)

 

 

『ヴィクラムとヴェーダー』タミル版を鑑賞。タミル版が2017年製作で、ヒンディー語版が2022年リメイク。リメイクの方が金がかかっていて、パワーアップしているが、2017年版の方がストーリー展開が丁寧でスムーズだった気もする。まあどっちも面白かった。

家に帰ってテーマ曲がないか探したら、リメイク版のダンスシーンがまるまるYOUTUBEにアップされてあり興奮した。

まるでMVのような映像だが、これ完全に映画本編の映像なんだよなー。ヴィクラムとヴェーダはけっこうシリアスなゴリゴリの犯罪ものなんだが、その中盤にいきなりこの映像がさしこまれた時の私の衝撃が伝わってほしい。中央のヴェーダはちょっとニコラス・ケイジっぽいファニーさもあるな。本編のヴェーダは不気味なニヤケ面が最高にかっこいいワルだったんだが…。このダンスシーンにはRRRのダンスのようなキレやかっこよさもないが、こちらの方がだんぜん好きだ。郡司ペギオ幸雄が『やってくる』でプリンスをダサカッコワルイに分類していたが、これもまたダサカッコワルイがやってきたのだろう。

 

三宅さんのブログにアマゾン利用に関して書かれてあったが、私の場合は完全に私怨一択でです。かなり昔に注文した商品が数か月モノが確保できないと言い訳を繰り返したあげく最終的にあちらから注文キャンセルされたという事あって、今は知らないが当時はアマゾンに電話する番号もメールするアドレスも載っていなくて、それ以降アマゾン利用はぎりぎりまでしないと恨み骨髄に決めたのでした。あと一回アマゾンプライムにステルス入会させられて、すこしだけ会員費を盗られたのはぜったい忘れんからな糞アマゾン!だからアマゾンは利用しないようにしていますが、楽天なんかはバンバン使っていたりします。リアル書店紀伊国屋はあきらかにお前これ一回落としただろみたいなぼろぼろの新刊を平気を並べてたり、そもそも狭いスペースに詰め詰めで並べまくってるから本のカバーがぼろぼろになってるのに未だに平気でいるその精神性が信じられない、いつまで紀伊国屋の看板にあぐらかいてんだつぶれてしまえ、と思うことも多々あります。