新潮の『君たちは…』論だけど、宮崎駿高畑勲の関係性・友情みたいなのが知れたのは良かったかも。宮崎論ではなぜか青鷺に関する記述が少なかったけど、青鷺=高畑勲だったんだなと考えるとすとんと来るものがある。調べてみると高畑勲が亡くなってから作られた宮崎映画は『君たちは』になるみたいなので、追悼的な意味も含めてそういう図式はなりたちそうではある。青鷺がメインビジュアルなのも納得する。

『テート美術館展』さすが国立の美術館というべきか、平日の昼間なのに、チケット買うのに20分、会場に入るのに3分、グッズ買うのに30分くらい並んだ。特にチケット売り場前の庇のない直射日光に炙られる地獄のような行列は強烈だった。前日に本屋でももらった展覧会のしおりが100円引きだったのだが、これがオンライン購入には対応していないので現地でチケット買わないと割引にならず、軽い気持ちでいったらそんなこんなで、会場入りする前から心身ともにドロドロのズタボロ、この時点で心は完全に折れていた。会場に入ってもものすごい人の山で中盤あたりまでは満足に鑑賞できるような環境ではなかった。後半あたりは現代美術のセクションにかかるためか、人に隙間もできてすこし余裕もって鑑賞できた。ただおもしろいと思う作品が少なかった。光がテーマということで、現代美術ではじっさいに蛍光灯や投光器とかライトボックスとか使われている作品が多かったが、じっさいピカピカまぶしいだけで辛かった。なんだったらチケット売り場で受けた日光が一番強烈だったんで、人工的な光とかもうおなか一杯ですという気分だった。あと今回にかぎらず最近では大多数の鑑賞者がスマホでパシャパシャ、それこそ撮影可能な作品はすべて撮影すべしな勢いで撮影しまくっているが、あーやって撮影した写真を帰ってじっくり見返すもんなんだろうか。いずれにしろこんなに並んでこんなに人に埋まった展覧会はひさしぶりだった、たまにはこんな展覧会を経験するのも良いもんだ、などと思うはずもなく、明日国立新美術館が爆発してなくなったとしても何も思うことはない。

『ピギー』前半は最高だった。ぽっちゃり女が水の中での水泳や道路のかけっこで全身の肉がぶるんぶるん揺れるビジュアルだけで何も言うことなし。しかもそれぞれが迫害されて逃げるシーンでの必死さが肉の揺れにこもってて実に良い。後半からこれどこに着地するんだろうという先の読めなさからくるサスペンスはあったが、前半にあったようなぽっちゃり主人公の復讐目線の小気味良い感じはなく、ただただ凄惨になっていく感じがもったいない感じもした。帰って映画情報を調べるともともと短編でヒットしたものを長編化した映画のようで、短編がYOUTUBEにあったので鑑賞。

これを見ると長編版は、さらに磨きがかかっていたのがよくわかる。プールで泳ぐシーンはもっと水がくっきりしていて、またプールの中の死体を見せるタイミングもすごくよくなっていた。車の不良に追われるシーンは、長編ではもっとマジで走って逃げてて、あと水着の紐をほどかれて主人公が逃げなきゃと胸を隠さなきゃで必死になる演技がとてもよかった。ただそこまで煽った車の不良への復讐はあんま盛り上がる形でないのが消化不良気味ではあった。とはいえけっきょく長編で面白いと思った部分はぜんぶこの短編で描かれている部分でもあったなー。

最後にどうでもいいが、さいきん新宿武蔵野館とシネマカリテの映画館をよく間違える(それぞれ1分くらいの距離にある、おなじ武蔵野興業の映画館)こんかいもピギーの上映は武蔵野館で、電車で新宿に向かっている時なんて東改札から地下通路をとおって映画館に行くルートの想定までしていたにも関わらず、ネット予約の券売機で暗証番号いれても認証されない時点でようやく、あっ、ここシネマカリテだ、ここじゃなかったと気づく始末で、それが今年に入って3回目ともなると老いや衰えでは片づけられない言い知れぬ不気味さを感じないでもないのだった。ただまあ3回目ともなると慣れたもんで認証が通らない瞬間にはっとなったが、1回目なんてぜんぜん気づかず何度も暗証番号いれて通らないから、映画館のスタッフに予約が通らないとなかばクレーマーまがいに食ってかかっていったもんだった。スタッフさんからは発券しなくても会場時にスマホの画面を見せれば大丈夫ですよと親切に言われて、応と安心してトイレにいって用を足しているときに、あっ!ここじゃない!と気づきそそくさとスタッフさんの前を通って外に出てもう一方の映画館に向かったのは今で良い思い出だ、などと思うはずもなく、明日国立新美術館が爆発したとしても映画館にはかわらず行くだろう。